愛ほっと便り 令和3年10月号 室伏君士の認知症論
はじめに
年を重ねていくと、耳が聞こえにくくなったり、目が見えにくくなったり。そのほか嗅覚、味覚、皮膚感覚、などの五感と共に、記憶障害がみられてくるのが普通です。
私も身をもって体験しています。
それと共に認知症という疾患を持つ方は、私たちの身の回りにおられます。
そこで、今回は認知症ケアの理念の一つについて紹介します。
認知・認知機能とは
認知症ケアに携わる人が、「認知入った」「認知が進んだ」等と表現する人がいます。
認知症ケアに慣れた感じで、隠語のように使われていますが、「認知」とは「知覚や記憶・推論など知的な活動」という意味です。「認知」=「認知症」ではありません。
認知が入るや進む等は日本語的にも意味をなしませんし、人として捉えていない印象です。
何気なく使う言葉かもしれませんが、差別的に捉えて、傷つく方もおられます。気をつけなければいけません。
室伏君士の認知症論
室伏君士は「認知症論」を通して、認知症ケアの大切なポイントを、暮らしを支え、ぬくもりのある絆を再構築することを唱えました。
理にかなったケアとは「その老人の脳障害による在り方をわきまえ、その生き方を知って、その心に沿って、少しでも人間らしく知的に生きていけるように援助や指導をすること」(室伏1998)とされています。
まとめ
「認知症の人」という言い方を用いられている場合がありますが、認知症に焦点を当てるのではなく、一人ひとりが唯一無二の存在であるので、その人やその人の生活、その家族を見ることが認知症ケアの理念の一つだと私は思います。